chilling my mind

初めまして。 LBと申します。 2015年にADHDと診断されました。 診断結果はショックでしたが、僕は自分のことをもっと知りたいと思うようになりました。 ADHDは無くならないと思います。 だけど、僕は幸せに生きたいです。 このブログは僕とADHDの対話録です。

ADHDと診断されるまで(2)

診断のきっかけ

就職

前兆

 入社当初、会社はあまり居心地の良い場所では無かったけれど、僕は希望に燃えていました。小さい頃から思い描いたいた仕事に就くことができた自分に自信があったし、早く一人前になりたいと思っていました。
 毎朝、就業開始の1時間前にはデスクに向かい、勉強や仕事に取り組みました。 健康管理のためワークアウトも欠かさず、僕の人生は順風満帆に進んでいくように見えました。
 研修が終わり徐々に仕事を任されるようになると、僕は仕事で度々ミスをするようになりました。大半は書類の誤字や、出張費の計算ミスなど誰でも少し注意をすれば防ぐことができるようなものばかりでした。
 僕はミスを防ぐために色々な方法を試すものの、その方法が新しいミスを誘発してしまい、僕は自分で自分の仕事をどんどん複雑にしていました。
 僕の職場は色々な部署の人たちが目まぐるしく動き回りっていました。クレーム対応に追われ大きな声で電話をする人、独り言を言いながら悶々と仕事をこなす人、ブザー音を鳴らして測定器を操作する人。
 僕はいつもノイズの中にいました。仕事に集中しようとする僕の意識はしばしばノイズにかき乱され、その度に僕は自分が何をしようとしていたのか分からなくなりました。家でひとりになるまで僕の心が落ち着くことはありませんでした。

 「いったい何度同じミスを繰り返すんだ」
 「またお前か」

 初めは新人として大目に見ていた僕の上司も、とうとう痺れを切らし声を荒げて僕を注意するようになりました。 そして、周囲の人達も僕を厄介な新人という目で見るようになりました。
 僕は今までどんなに辛いことがあってもそれを乗り越えてきました。 きっと改善できると、この時はまだどこか楽観的にこの状況を見ていました。

 

トラブル

 厄介な新人も気がづくと2年目社員になっていました。 少しづつ仕事をこなすようになってきたものの、仕事のミスは相変わらず続いていました。新しい仕事が増えると僕の混乱はより大きくなりました。
 朝から晩まで続くノイズの渦の中で僕は一人群れから外れた魚のように彷徨っていました。群れをなして悠々と泳いでいくみんなの後ろ姿を、僕は一人眺めているような気分でした。 ”どうしてみんなと同じことができないんだろう” 会社に入って、大人になっても僕はまた、あのお馴染みの感覚を覚えるようになっていました。
 僕の上司は仕事に厳格な人でした。書類の一字、一句まで完璧さを求めました。 ”多分”とか”とりあえず”といった曖昧な返答は許されませんでした。 僕は確信を持って上司と話をすることが出来ませんでした。自分の論理に欠陥があるのでは無いかと不安で、上司と話をする時は頭のなかで何回も話す内容を整理しました。
 話の矛盾や問題点を指摘されると僕は頭が真っ白になりました。何故そのように判断したのか自分自身の考えさえも分からなくなっていました。
 この頃から僕は上司と話をするのが苦痛になっていました。 コミュニケーションを極力避け、ギリギリまで話をしないようにしていたので、納期も遅れるようになりました。
 僕はスケージュールを立てるのが苦手でした。自分の能力の未熟さもあって見通しが甘い計画を立て、最後に残業してリカバリーするケースがほとんどでした。何より新しく入る情報や周囲の刺激に影響されて、しばしば自分が今やらなくてはいけないことが見えなくなっていました。
 計画の遅れとミスの連発が続き、僕は毎日のように上司に叱責され人間関係はどんどん悪化していきました。

 

何をやっても上手くいかない

 就職してから数年が経ち、僕は単純ミスだけでなく物忘れもひどくなっていました。 物忘れは繁忙期になるとさらに悪化して、ひどい時にはエレベータに入り、ボタンを押すことすら忘れてしまうほどでした。
 ”この状況を早く改善しなければならない”と僕は焦っていました。
 氷河期に就職した僕は、自分の仕事や居場所を失う事を何よりも恐れていました。このまま失敗が続いたらいつかリストラされるのではないかと、自分の将来が不安でいっぱいでした。
 漢方やサプリなど物忘れに効きそうなものは何でも買いました。 最悪の状況から抜け出したい一心で、ライフハックや瞑想、右脳開発などにも手を出しました。業務効率化の本もたくさん読みました。
 そんな努力もむなしく、叱責と怒号は続き、上司は僕を軽蔑するようになりました。 僕はこの時、自分の意思で何かを考えると言うことが出来なくなっていました。相手の意向を汲んで先回りして準備をしたり、言われたこと以上の何かをイメージすることが困難でした。そんな僕を上司は怠惰な人間だと思うようになり、徐々に仕事を干されるようになっていきました。
 一度貼られたレッテルを覆すのは難しく、僕の行動は1ミリでも上司の意向に外れると厳しく指摘されました。されに追い打ちをかけるように、気がつくと僕を叱責する人たちがどんどん増えていきました。僕の話す事は何から何まで正確さを求められ、欠陥を指摘される度、僕の頭はどんどん混乱していきました。僕は人の話すことが理解できなくなっていました。 単語一つ一つの意味は理解できても、頭のなかで文章として構成する事ができませんでした。そして、僕の話す言葉も支離滅裂になっていきました。
 僕は上司を憎んではいません。だけど、始めは温厚だった上司をここまで豹変させてしまった自分を呪いました。僕は仕事で認められるためだったら死んでもいいと思うようになりました。会社帰りはいつも神社に立ち寄り、ひたすら拝んでいました。
 僕は完全にクレイジーな状態になっていました。 修行僧のようになれば長いお経を覚えられる記憶力が身につくのでは無いかと、3週間ほとんど固形物を摂らない生活をすることもありました。 もやは冷静に物事を見たり、考えたりすることは出来なくなっていました。

「ちょっとおかしいんじゃないのか」

  ある日、仕事でミスをした僕に上司が笑いながら言いました。 この一言で今まで張り詰めていた僕の気持ちはぷっつりと切れてしまいました。 どんな困難も乗り越えられると信じて生きてきた僕が、人生で初めてもう無理だと思うようになってしまいました。
 もう僕は普通の人間では無いんだと納得し、病院に行く事を決意しました。