chilling my mind

初めまして。 LBと申します。 2015年にADHDと診断されました。 診断結果はショックでしたが、僕は自分のことをもっと知りたいと思うようになりました。 ADHDは無くならないと思います。 だけど、僕は幸せに生きたいです。 このブログは僕とADHDの対話録です。

ADHDと診断されるまで(3)

ADHDの診断

 発達障害と言う言葉知ったのは僕が仕事で行き詰まり、医療による対処方を探している時でした。
それまで、僕は自分が若年性の健忘症になったのではないかと疑っていました。
健忘症に関する症例を調べていた時に偶然、発達障害という症例が存在することを知りました。そして、発達障害で取り上げられる症状が驚くほど現在の自分の状態に酷似していることを発見しました。
 僕は発達障害についてさらに知りたいと思い、発達障害を抱える方々のブログを読むようになりました。そこで綴られている悩みや、思いの丈はまるで自分の気持を代弁しているかのようで、とても他人事とは思えませんでした。
 僕は発達障害の治療を行っている神経科を受診し、医師に自分の症状を事細かに説明しました。
 医師による診察を受けようと決心してからおよそ一ヶ月、僕は今までに仕事で起こした失敗やトラブル、幼少期の頃の事など自分に関する情報を出来る限り集めてから受診に望みました。
 そして、これまでの症状とテストの結果から僕は不注意優勢型の発達障害であることが認めれました。この様な診断結果が出たことはある程度覚悟していましたが、これまで何一つ健康に問題が無かった僕が、障害を持った人間であると言う事実はショックでした。
 それと同時に、小さい頃から抱いていた生き辛さの原因が分かったことで安堵感もありました。これから発達障害の治療に専念すれば、僕の人生も少しづつ好転していくのではないかと思ったからです。発達障害の投薬療法として、僕はストラテラを処方されました。

投薬治療、それでも残り続ける不安

 初めてストラテラを飲んだときの事は今でも強く記憶に残っています。
あれほど僕の頭をかき乱していた身の周りのノイズに対する不快感が無くなったからです。
  周囲から発せられる音自体は以前と変わらないものの、僕の頭はそれが単なる”音”なのか話し言葉やアラームなどの意味のある”音”なのかを自動的に判断できるようになったのです。
 僕は今まで生きていてこれ程までの静寂を経験したことは殆どありませんでした。
ただ何もしないで、座っているだけで心が落ち着きとても心地よいのです。
普通の人たちはこんな静寂の世界の中に生きているのかと思うと、僕は今までの人生を少し損したような気分になりました。でもこれから僕の人生はきっと良くなっていくんだと希望が沸いてきました。
 ストラテラの効果は絶大でしたが、投薬を続けると徐々に効果が薄れていきました。医師に相談したところ、一日の投薬量を増加することになりました。
 投薬量を増やした結果、深刻ではないものの僕は吐き気やだるさなどの副作用を感じるようになりました。さらに1日でも薬を飲み忘れる日があると、また何か大きな失敗をしてしまうのでは無いかと不安で仕事に集中できなくなることがありました。
 僕の心は常に不安の中にいて、それはある意味で発達障害の症状よりも僕を蝕んでいた病理だったのかもしれません。
 僕の生活にはストラテラが欠かせないものになっていました。
以前は仕事が休みの日は、外に出かけスポーツや読書、美術館に行くなどアクティブに活動していましたが、ストラテラを飲むと何もしないで家の中でボーっとしているだけで心が落ち着きました。
 だけど僕の心の中は徐々に空虚感で満たされていきました。
 僕は夕焼けを見るのが大好きでした。たまに仕事が定時に終わると、電車の窓から落ちていく夕日を眺め胸がいっぱいになる感覚がとても好きでした。
それから外に出かけることも好きでした。遠くへ足を運ばなくても、街の風景や道行く人達を見ていると将来はあんなことをしてみたいとか、こんな人間になってみたいとかわくわくする様な考えが頭の中を駆け巡って行きました。
 だけど、ストラテラを飲んで部屋で一人佇んでいる僕の心の中は氷の洞窟のように、静寂以外は何もありませんでした。
 僕は、自分の障害をどうにかして変えたいと強く願う一方で、もの覚えが悪くて、なにも出来ない役立たずだけど、自分の全てを嫌いになることは出来ないんだと悟りました。
 薬を飲まなくても僕の人生には喜びがありました。
 ダメな自分を好きでいてくれて、励ましてくれる人がたくさんいました。
 こうして僕はストラテラの投薬を中止し、発達障害の事を会社に打ち明けようと決意しました。自分の症例を会社の人に理解してもらうことで、少しでも働き方を変えて行ければと思ったからです。

カミングアウト

 僕の上司は”鬱病は存在しない作られた病で、自己欺瞞にすぎない”と考える人だったので、発達障害のことをカミングアウトするのは勇気が要りました。
 恐る恐る発達障害であることを告げると上司は「父がアルツハイマーと診断された時、君と同じようにホッしたと言っていた」と理解を示す反応を見せてくれました。
この告白の後、発達障害のことは周囲の人には内緒にして、直属の上司と部門長など一部の人にだけに知らせることとなり、今後の仕事の進め方について社内で協議すると言う話になりました。
 当時、僕が仕事をしていた部署は多忙でスケジュールを間に合わすため、みんな毎日のように遅くまで残業していました。一方、僕は発達障害を打ち明けた結果、仕事を定時に終わらせ療養に励むよう指示を受けました。
しかし、投薬の中止は聞き入れて貰えませんでした。
 仕事を干されていたとは言え、僕にも多少の仕事が割り振られていました。
当然ですがストラテラを飲んでも、急に仕事が出来るわけではありません。
ただでさえ仕事が遅い僕は、定時に仕事を終わらせることができず仕事を先延ばしして、周囲の人の足をひっぱるようになりました。
この頃から上司は、 

 「この仕事量でも定時に終わらせられないのか」

 「なにも仕事をしていないよね」

などと、増々僕を叱責するようになりました。
以前は参加していたチームのミーティングも僕だけ参加しなくて良いと言われ、情報共有が出来なくなってさらに仕事が遅れてしまいました。
 恐らく上司は僕を定時で帰らせるよう上に言われながら、仕事は円滑に進めなければならないと言う重圧を課せられていたのかもしれません。
 今にして思うとこの繁忙期に余計な問題を持ち込み、職場環境を乱した僕のカミングアウトは適切では無かったと思います。
 結局僕は、薬を飲んでも飲まなくても、仕事を頑張っても、セーブされても、この状況を改善することはできませんでした。